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【和訳】パク・ウンテ、まだ開いていないページ

[COVER STORY] <ジーザスクライスト・スーパースター> 

[No.115]登録日:|2013-04-16|

パク・ウンテ、まだ開いていないページ 

誠実と努力、俳優パク・ウンテに課せられた荷札だ。彼は約束時間の10分前、先にスタジオに到着した。作品のイメージを生かして撮影コンセプトを決めた。練習中のため、彼は無理なくジーザスのイメージを作り上げた。最後のカットは今まで見せてくれたことのないパク・ウンテの姿を見せたかった。イメージが意図通りに出なかった。漠然としたコンセプトのせいか、なんだか浮いた感じというか。しかし、彼はシャッターの音が鳴る度に意地悪く、あるいはコミカルに表情を変え最後まで自分の役割を果たした。なぜ彼のトレードマークが誠実と努力なのか分かった気がした。自分に課せられたことが正しい正しくない、どちらにしろ最善を尽くす俳優がどれだけ有難いことか。少しの間だったのだが、彼と仕事をすることが楽しかった。結局、パク・ウンテの既存イメージを確認する時間になったのだが、単純な理解を超え、パク・ウンテという俳優を深く濃く理解できるよういなったようだ。俳優としても、人間としてもより一層深くなった彼に会った。 

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パク・ウンテのゲッセマネ

<ジーザスクライスト・スーパースター(以下ジーザス)>のジーザスはミュージカル俳優なら一度は夢見そうな役だが、むやみには挑戦する意欲が湧かない役である。初演のジーザスはディープパープルのイアン・ギロンが務めた。大変なロック声法のため、今までこの役はロッカーがしばしば務めてきた。慎重な性格だが、パク・ウンテはジーザス役の提案を受けた時、後先を考えず無条件に演るのととした。彼にミュージカルを教えてくれたのが<ジーザス>だったのだ。

"初めて'ゲッセマネ'という歌を聴いて、ミュージカルに対する概念が変わりました。ミュージカルはオペラみたいな何かだと考えていたんです。でも違いました。代わりにもっと怖くなって、ミュージカルにはあえて挑戦するものではないと考えるようになったんです。"

20代前半、<ジーザス>との出逢いはパク・ウンテにとってかなり強烈な記憶として残った。自分がミュージカル俳優になるとは考えていなかった時に出逢った<ジーザス>は衝撃そのものだった。


快く受諾したが、<ジーザス>のジーザス役は決して容易ではない役だ。作品事態も難しいが、信仰者としてジーザスを演じるということも負担だった。方向性は決めた。信仰的に解決するよりは、ウェイバーとティム・ライスの原作通りに人間的なジーザスの姿を浮かび上がらせるようにした。

"イエス様は特別な存在として生まれたが、人間の身体であまりにも苦痛を受けたではないですか。何よりも死について恐れを多く感じたようです。自分に起こるすべての苦痛と死をすでに知っているというのはどれだけ辛いことでしょう。そのような苦痛を経験したから神として転生することができた。この作品でイエス様の人間的な面を強調すればするほど、逆説的に聖書にもっと近づいていきます。それは宗教的であるということとは違う話です。無宗教の人でも充分没入できると思います。"


<ハムレット>を演じる時5kg落とした。役のために決意しダイエットしたのである。精神性が強調される<ジーザス>のジーザス役もやはり痩せ細った身体つきを想起させる。しかし、予想に反して特別なダイエットはしていなかった。ただ脂っこい食事を食べない程度の食事調整だそうだ。ところが、この間で少し太っていた時より3kg痩せたという。外見のことで苛立っていない様子がより余裕があるように感じられた。彼が気を遣うところは音楽だ。


彼がジーザス役を引き受けた時に期待されたのは、彼の'ゲッセマネ'だった。1996年、アルバムでジーザスの歌を聴かせたスティーブ・バルサモはきれいな高音で大変な'ゲッセマネ'を楽に歌い驚かせたし、映画バージョンに出演したテッド・ニリーは音程や拍子にこだわらず、ドラマチックで伸びのある高音で観客たちの心を掌握した。パク・ウンテは元来爽やかな高音と歌唱力が優れた俳優で、彼が歌う'ゲッセマネ'はどんな感じを与えるのか期待された。

"期待しないでください。とても負担になるのが事実です。私は私なりの’ゲッセマネ’を聴かせるでしょう。最初は私だけの’ゲッセマネ’を作ろうと欲を出しました。しかし、ちょっと考えて全てを見事に解きほぐしてみると、私だけのバージョンを、と欲張ると作品が壊れてしまうようです。歌は楽譜に表現されてあるように歌うつもりです。歌が残るのではなく、作品が残るようにしたいです。作品を観て、イエス様の死から込み上げる感動を受け取ってもらうようにすることが目標です。そのためには人物を理解させなければならないでしょう。"

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より遠くへ行くための成長痛

期待するなと言われたが、この言葉を聞くともっと期待してしまう。パク・ウンテを演劇界に知らしめたのは<ノートルダム・ド・パリ>だ。美声の新人俳優の登場に観客たちは歓呼し、マスコミの注目も集めた。その時のインタビューを探して読んでみると歌に対する話が多い。グランゴアールが狂言回しの役割を兼ね、彼が歌う'カテドラルの時代'があまりにも作品を代表する歌であるからだろうが、パク・ウンテは主に歌について話している。今の彼なら違うと思うのだ。今は'歌が上手い'という修飾語以外にひとつずつ他の修飾語がつき始めた。

"その時は何が重要なのか、何を見せなければいけないのか分かっていなかったようです。<ライオンキング>のアンサンブル経験しかありませんでしたから。歌さえ上手ければいいと思っていました。でも、感動は演技からくるようです。その人物になれてこそ感動するんですね。"

それでも、正確な音程、拍子、ピッチを守ることは依然として重要だと思う。それで俳優としての鍛錬を辞めることはできない。


でも、依然として俳優という名称は負担だ。演技を業とする人たちは完全に自分の時間を演技にだけ注ぐが、自身は歌のレッスンをもっとたくさん受け、歌に対してたくさん悩んでいる。

"演技の練習が必要だとは思っているのですが、歌を置いてしまうと筋肉が解けてしまうんです。それで日増しにすべきことが増えてしまいます。"

2011年に初公演された<蜘蛛女のキス>では、夢幻的な夢を見るモリーナというゲイ役を演じた。作品に参加した期間の間は完全に演技だけに没頭することができた。

"戦場に武器を持っていかなかった気分でした。私が一番得意なことが見せられない状態で舞台に残されたじゃないですか。"

彼の言葉だけ聞くとぞっとするような時間だったようだが、彼は<蜘蛛女のキス>への参加で重要な経験を手に入れた。大変だった分だけ成長し、それによるやりがいも大きかった。

"申し訳ない話だが、ミュージカルを上手く演じるには演劇も定期的にやらなければなりません。"


誠実と努力の代名詞であるパク・ウンテにはマンネリズムなんてとんでもない?だがこの辺りで彼もマンネリズムに陥るような気がした。専攻もせず遅れて入ったミュージカル界だったため努力を惜しまなかった。今でもそうだ。しかし、その努力が慣性によるものなら、何かのためではなく、ただ不安で習慣的にレッスンを受けているのではないか。走っているが同じところを回っている感じ、パク・ウンテにもそういう瞬間が訪れてくると考えた。

”ありました。したことある作品のアンコール公演だったのに、自分が発展していないように感じました。僕が舞台で達成感を感じているか?人々にどう見えるか、どうすれば観客が好きだと思ってくれるか気になっていたんです。人の目で僕が決められたら僕がなくなってしまうじゃないですか。舞台で実力をつけてきていると感じる時、達成感を感じて幸せなのに、とんでもないことを思って計算していたんです。” 

荷物を下ろして公演をする時とても自由になり、それが彼が望む舞台での姿であると最近もっと明確に気が付いたという。短期間で主演俳優になった彼には、このような痛みはむしろ大事な過程だ。

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彼の残りのページ   

パク・ウンテは2006年劇団四季の<ライオンキング>のアンサンブルとしてデビューし、2007年<ノートルダム・ド・パリ>のグランゴアールがきっかけとなり急速に成長した俳優だ。ハムレットやキムセン(<ピマッコル恋歌>)、ルドルフ、モーツァルト。彼が今まで演じた役は、モーツァルトはやや例外であるものの苦悩するという側面においては皆真剣で悩みの多い人物だった。これまでの役のうち、質的に違ったはルキーニ(<エリザベート>)と演劇ではあるがモリーナなんかが例外的に違うキャラクターだった。手足が縮まり鳥肌が立つようなロマンティックな人物や、スラップスティックコメディでもこれから彼を観れるだろうか?

"挑戦しなくてはなりません。それが僕に残った役のようです。作品を通じてチューニングを受けていると思います。今すぐに他のジャンルに参入することはありませんが、そうやって挑戦することが残っているのがいいです。"

彼は急がない。だからと言って避けることもしない。徐々に近寄ってきて、熱く出逢う日を待っている。


大学構内や少数の観客とのふれあいの場でも時々彼に会うことができる。名声に偏らない彼の性格もあるが、それよりも学生たちの頼みを断れない。

"私がそれぐらいの頃たくさん悩んだんですよ。他人事じゃなくて、僕が助けることができるなら助けたいです。それで特別講義のようなことをたくさんします。"

彼らにどんな話をしてあげたいか聞くと、'今の悩みは無意味ではない' と言ってあげたいそうだ。


すべての若き日が苦悩の日々であるように、パク・ウンテの若き日もそうだった。誠実、慎重な学生だった。そのため熱中することが自分に合わなければどうしようと心配が多かった。歌が好きだったが学校の勉強も怠らなかった理由だ。軍隊を除隊して、他の人のように勉強に邁進したりもした。しかし、その道は自分が行く道ではないと確信して、なるようになれという気持ちで歌手の道へ飛び込んだ。歌を歌いたかったのに不安でこれまで締めていた紐を緩めてしまったのだ。戻ることこがなく、邁進するしかなかった。練習生として過ごした2年間、絶えず挫折し、精神的・肉体的な苦痛を経験した。この時間が今のパク・ウンテを作るのによい薬となった。

"薬が効いて、毒も育てました。実力がなく期待に応えられなくて、向けられる視線を感じるじゃないですか。試行錯誤しながら毒を育てるのです。"


こんな経験がまだ濃く残る学生たちに一言でも言ってあげたい。そのためか、最近流行しているオーディション番組を見る視線も特別だ。

"歌手は数年掛けて準備しアルバムを発表するし、そのイメージで数年活動するじゃないですか。でも最近のオーディション番組は一週間毎に違ったイメージを要求します。一度にすべてのことを求めるので苦労するんでしょう。"

本当にその通りだ。一週間毎に違う姿を要求することもそうだが、個人の長所と短所があるのに、ずっと違う才能を求めることがどれだけ暴力的なことか。

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才能に対する考えを聞くと舞台に立つ俳優にとって才能は非常に重要だと切り出した。

"しかし、才能がないと舞台に立てないのではありません。足りない才能は練習すれば埋められます。言語を学ぶように時間をどれだけ投資したかによって増えていくのです。才能がないことよりも停滞することの方が大きな問題です。"

パク・ウンテは作品を通して成長してきた。上手くできる場合はその通りに、そうでない場合はそれを発展の足掛かりにすることができる。それぐらい自身を省察する力が強い。一層余裕すら感じるようになったが、まだ行くべき道がもっとある俳優だ。1幕を経て2幕に入った彼にまだどれだけ多くの幕が残っているのか分からない。今まで成し遂げた成果とは比較されない未来のページがもっと期待され気になる。そのページを満たしていく過程を見守ることはきっと幸せだろう。それを満たしていく彼も、幸せだったら良い。

元記事 The Musicalより↓

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※出処はすべて写真内に記載

【趣味で個人が訳しただけですので、参考までにご覧ください。】